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生き方の物差しを他人に頼りがちな現代人の心をえぐりにくる漫画界の最高傑作『神々の山嶺』

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(世界最高峰エヴェレスト 出所:Wikipedia)

一人の登山家と一人のカメラマンの物語

社会に出て、時間と心に多少の余裕ができると、多くの人は「何のために生きているんだろう。。」など、答えのない問いに悩むのが、一種の通過儀礼かもしれない。

しかし、それなりに年を重ねていくと、「何のために生きているんだろう」など曖昧な問いでなく、必ず来る自分の死から逆算して「死ぬまでに最低限、何を成し遂げていたいか」と考える方が、人生の焦点が合いやすいことに気づいたりする。

そして、その”焦点”を明確にもって突き進む人の生き方に対して、他の人は猛烈な魅力を感じることが多い。たとえその人に、一般的な幸せや、富、名声、または経済的な安定など一切なくても、凄まじい生命の熱量にひきつけられてしまう。

この作品『神々の山嶺』は、そんな”焦点”を固く持ち、世界最高峰エヴェレストに対峙して生き抜いた登山家と、彼の生き方に魅せられ、彼を追い続けたカメラマンの話だ。

本作の魅力を語り尽くすには、内容に深入りすると同時に、フィクションとノンフィクションを行ったり来たりしなければならないので、ぜひこの機会にじっくり語らせてほしい。

ジョージ・マロリーの伝説で繋がる二人

舞台は1993年。主人公はフリーカメラマン深町誠(40歳)。彼は、ネパール・カトマンズの雑貨屋で古びたカメラ”VEST・POCKET・KODAK”を見つける。そして、それが70年前に人類初エヴェレスト登頂に挑戦し、行方不明となったジョージ・マロリーが持っていたカメラそのものでないかと直感する。もしそのカメラに登頂の証拠となる写真が残っていたら、マロリー達が人類初登頂となり、登山史を塗り替える大事件となる。

1巻32p

カメラを見つける深町 ※『神々の山嶺』( 夢枕獏/谷口ジロー/集英社)1巻32pより引用

羽生丈治との出会い。そして彼の挑戦

深町はその発見に興奮し、そのカメラの出所を調べるうちに、それは、かつて天才登山家と言われながら突如消息を絶ったままになっていた登山家・羽生丈二(49歳)が見つけたものと知る。

3巻60p

※『神々の山嶺』(夢枕獏/谷口ジロー/集英社)3巻60pより引用

その後、深町は羽生本人を探しあて、ともに時間を過ごしていくうちに、羽生が日本を離れた理由や、法を犯し命がけで成し遂げようとする前人未到の最後の挑戦を知る。

3巻231p

勘のいい関係者もその挑戦に気づき始める ※『神々の山嶺』(夢枕獏/谷口ジロー/集英社)3巻231pより引用

そして深町は、その羽生の挑戦に限界までついていき、彼のその挑戦を写真に収めることを自分の挑戦とする。そしてその挑戦の結末はどうなるか、、、というのが話の大枠だ。

感情揺さぶる漫画界の最高傑作

確かに”男くさい”っぽい話だが、大人が読む漫画としては最高傑作だと思う。登山に興味なくてもストーリー自体の引力が凄まじい。この東京マンガレビュアーズの前身マンガHONZで紹介した時も、知人友人が何人か読んでくれたが、大多数が泣き崩れたのを観測している(笑)。私も今回このレビューを書くにあたって再読したが、ここまで感情を揺さぶられる漫画はほかにないな、と2020年の今も思う。

万能感あふれない主人公たち

ストーリーを魅力的にしている要素はたくさんあるが、なによりも羽生の人物像。これが、まったく万能感あふれるヒーローや偉人的な存在ではない。名声も金も資産も社交性なく、あるのは自分の進む道に対する確信、というか思いこみだけ。自分でも「山に登らない羽生丈二はただのゴミだ」という始末。

孤高に見られることも多いが、一方、周囲からの誤解に恐怖したり、ライバルに嫉妬したり、亡くした友をひそかに想っていたり、少なからず迷いが残っていたり、、いわゆるまったく器用に生きられないタイプ。今なら"コミュ障"とでも呼ばれていただろう。繰り返すが、ヒーローや偉人感はまったくない。彼の生き方に全く共感できない読者も半分くらいいると思う。だが、そんなキャラクターだからこそ、彼の様々な葛藤にリアリティを与えていると感じる。

4巻80p

そこまでいわんでも、、という気がしなくもない ※『神々の山嶺』(夢枕獏/谷口ジロー/集英社)4巻80pより引用

一方の深町も、威勢よく「羽生について行く!」と言ったはいいが、肝腎要のところで羽生に超余計なこと言ったり、極限の状態で好きな女性を思い出したり「お、おまえはいったい何を言っているんだ。。。」とツッコミたくなる場面がちょいちょいでてきて、逆に深町に親近感を覚える。

3巻234p

気になる女性が羽生と一夜過ごしていることに悶々とする深町君。”雄弁な会話”のくだりは名言だと思う ※『神々の山嶺』(夢枕獏/谷口ジロー/集英社)3巻234pより引用

4巻75p

何気に食事のシーンも多く、おいしそうに食事する。『孤独のグルメ』に通じるものがある ※『神々の山嶺』(夢枕獏/谷口ジロー/集英社)4巻75pより引用

4巻後半からは5巻(最終巻)のクライマックスまで震えが止まるはずもない

そんな緊張と緩和により少し笑える場面も交えながら、全5巻、まさに羽生と深町の挑戦は地上8000mの頂上に向かってつき進んでいく。ハマった人は、もう、4巻の後半あたりからは震えが止まらないと思う。

誰にも理解してもらえなくとも、自分が自分の生き方、というか死ぬまでに達成したいことに確信さえあり、それに全力で取り組んでいるという自覚さえあれば、幸福、、、とは見えずとも、少なくとも本人は納得し尽くした生き方ができる。

羽生丈二の生き方は、他人との比較のなかで自分の幸福感を測りがちな我々現代人の生き方とは、対局にあるといえる。

何もない、外見ボロボロのおじさんたる羽生丈二の生き様をみて、何か息苦しい、っと感じる人は、本当は自分が心から取り組みたい別のものがある、、、と疑っていい。なかなか羽生ほどスイッチが振り切れている人はいないかもしれないが、あなたの中にも羽生がいるのかもしれない。そんな自問自答を読み手の心に紛れこませるパワーがある作品なのだ。

5巻90p

ゆびが動かなければ歯で、それでもだめなら目で、それでもだめなら、、、 ※『神々の山嶺』(夢枕獏/谷口ジロー/集英社)5巻90pより引用

マロリーの伝説は実話、そして羽生丈治にも実在のモデルがいる

さて、ここからは若干話が変わる。

この作品はフィクションなのだが、ストーリーが詳細で、羽生を中心に人物描写がリアルすぎると感じた人も多いかもしれない。それは当然で、実はかなりの実話をベースにしている。これも本作の本当に素晴らしい点なので簡単に解説したい。てか、みんなに知ってもらいたい。

①アービン&マロリーの伝説は本当

公式記録では、エヴェレストの初登頂はイギリス隊のヒラリーテンジンによる1953年の登頂とある。実はそれより30年近く前にイギリスの登山家ジョージ・マロリーアンドリュー・アーヴィンが、既にエベレストを登頂している可能性がある、という話は本当の話だ。2人は頂上にアタック後、帰ってくることはなかったが、何らかの”事故”にあったのが「登頂前」なのか「登頂後」なのか、今日に至るまで答えはでていない。

そして、なんと1999年にマロリーの遺体が頂上近くで発見されたが、遺留品の中にマロリーが携帯していたカメラ”VEST・POCKET・KODAK”は残されていなかった。そのカメラにこそ登山史を変えうる確固たる証拠が残されているはずなのに!

いひん

実際に見つかったマロリーの遺品 出所:下述

マロリー

マロリーの遺体 出所:下述

以上の写真はこの本から引用した。状況証拠からアーヴィン&マロリーの謎に迫る良書だ。この本のエッセンスが絶妙に『神々の山嶺』のストーリーに組み込まれているので、読後はこっちを読んでみるのもいいかもしれない。

ちなみに、この本にはおもしろいエピソードに溢れていて、例えばマロリーの娘が序文を寄せている。

(父マロリーの遺品を見せてもらった時)ポケットのなかには、家族の者や友達たちからの手紙もありました。ただし、見つからなかった物があります、私の母の写真です。子供のころに父から、母の写真をもっていって山頂に置いてくるつもりだ、と聞いた覚えがあります。(出所:ヨッヘン・ヘムレブ他『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』3p)

このエピソード自体興味深いが、『神々の山嶺』の読破後このエピソードを読むとまたぐっと来るものがあるだろう。

なお、世界的に有名な登山家のラインホルト・メスナーはプロの視点から、マロリーが登頂した可能性についてこの本のなかで論じている。

②羽生丈二、長谷常雄(羽生のライバル)、深町誠には実在のモデルがいる

羽生丈二は森田勝、長谷常雄は長谷川恒男、そして深町誠は(おそらく)赤松威善というそれぞれ実在のモデルがいる。一般的に登山家は超人で変人が多いが、この2人も規格外。そう、本作中の羽生の人物像は森田勝の実際の言動を丹念に取捨選択し、アレンジを加え、魅力的ながらどこか人間臭さも残したキャラクターに仕上げられている。

この『狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死』を読むと、ザイルを切る話、登頂直後のパートナーに対する暴言、途中下山の話等、想像以上に羽生が森田だというエピソードが確認できて興味深い。

ちなみに、森田氏も長谷川氏も、すでにこの世にいない。“昭和に活躍した登山家あるある”なのだが、”だいたい死ぬ”。死ななくても手足の指合計10本もない、という話とかをよく読み聞く。太く短く生き抜いた彼らの生涯は何とも言えない魅力に溢れている。

ノンフィクションをベースにした最上のフィクション

そもそも本作は夢枕獏氏の同名の小説が原作なのだが、ノンフィクションをベースに最高のフィクションを紡いだ天才的な作品なのだ。ちなみに夢枕獏氏は「もしも、『神々の山嶺』を漫画化する機会があったら、その描き手は谷口ジロー以外にはないと前から考えていた(『神々の山嶺』1巻 319p参照)」と述べている。そして、実際に谷口ジロー氏の壮大かつ繊細な絵が、この傑作を漫画にまで昇華させたという、天才性に天才性が重ねられた傑作なのだ。

そして、小説と漫画のラストが違うところが最高にいいのだ。個人的には原作たる小説を読んでから漫画を読んだ方が涙腺崩壊度が倍増すると思っている。

すべての漫画愛好家の方におススメしたいし、いつまでも読み継がれてほしいと心から願う。

なお、映画化もされている。

WRITTEN by 山田 義久
※東京マンガレビュアーズのTwitterはコチラ

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