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「大本営発表に騙された」という言葉の耐えられない軽さ『風太郎不戦日記』

第二次世界大戦中、インテリ医大生は何を考えていたのか

山田風太郎の『戦中派不戦日記』が『風太郎不戦日記』という漫画になった。

山田風太郎深作欣二が監督した『魔界転生』などを書いた大衆小説のヒットメーカーで、1964年に出た『山田風太郎忍法全集』の発行部数は300万部と言われている。よって、1974年のシリーズ終了までの発行部数は相当なものになるはずだ。

このヒットメーカーである小説家は、戦時中は東京医科大学の学生で、徴兵を免除されている。両親が早逝したあと実家を飛び出し、沖電気で軍の航空機に使われる無線機を作りながら医大を受験。昭和19年の春、22歳で医学生となる。

医大受験生の年齢や性別での差別が問題になっている昨今だが、戦中戦後の混乱の中ではキャリアと年齢の結びつきが弱く、かえって自由な感じがする。そういう混乱のなかでの自由な雰囲気が『風太郎不戦日記』には溢れている。

この漫画の原作になっている『戦中派不戦日記』は、昭和20年の1年間の医学生の日記である。

それは何者でもなかった単なる医学生の日記で、後に発表しようとして書かれたものではなかった。それゆえに医学生というインテリが戦争をどう考えていたかが、リアルに感じられる一次資料である。それが僕には面白い。

例えば昭和20年3月4日(日)のこんな情景。

四日(日)雪
○朝七時半警報発令。思わず歓呼の絶叫をあげて奥さんに叱らる。
きょうは数学の試験なり。余は数学的白痴なれば高等数学のごとき、初めから投げて授業中、講義の声を聞いたことなし。されど一科目にても五十点以下のものあれば落第せしむるとのことにて、五十点はおろか一点もおぼつかなきゆえ途方にくれいたるなり。

この試験前、試験中空襲ありたらば如何と学校に談判せるところ、学校にても種々考えた末、その場合は諸君を信頼して無試験合格とすとの確約を得たり。
<中略>
されば、明朝B公来ないかな、などとつぶやきて高須さん夫婦を怒らしめたるは昨夜のことなりしに、果然、朝より空襲警報朗々と響き渡れり。
<中略>
曇なり、暗澹たる雲、空を閉じて、来り去るB29の轟音十時までつづく。投弾の音凄し。

十時半解除、登校す。路上みな帰り来る。果して試験はなしと。みな「万歳だ」と両手をあげて見せる。頗る上機嫌なり。余も大東亜戦争は余のこの日のために勃発したるにあらずやと感涙にむせぶ。


『戦中派不戦日記』(山田風太郎/初出:番町書房)

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『風太郎不戦日記』(山田風太郎/勝田文/講談社)1巻より引用

こういった記述から、学生の社会から隔絶された気楽さ、風通しの良さのようなものが感じられて逆に現代の息苦しさを思ったりする。不思議なものだ。

戦時下にも営まれる、当たり前過ぎる日常の記録

そしてやっと本題に入るのだが、こうした「記録」が漫画になった

嬉しいと同時に、こういうテーマも扱える漫画というフォーマットにすごく驚いた。

「山田青年が銭湯に行って、上等なシャツを盗まれる。夜七時以降の銭湯のお湯は道頓堀の不純物・雑菌に匹敵する。」などの話は、こうした日記でなければ決して描かれるものではなかっただろう。こういう描写がとにかく面白い。

特に東部軍の発表など、軍の広報について語られる部分が興味深い。「騙されているのではないか?」というような疑いの態度ではなく、むしろ軍の発表が「親切にすぎる」というような表現がされている。

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『風太郎不戦日記』(山田風太郎/勝田文/講談社)1巻より引用

昭和20年、23歳の医学生の山田青年は軍の発表についてこう言っている。

戦局の真相を国民に知らしめよ、たとえそれがいかに恐るべきものなりといえども、それを恐るがごとき日本人にあらずとの声高きも、これと同様にて、余りに細密に知らしめるは、意志薄弱なる愚衆大半なる国民には、結局恐怖心を起さしむるの害なしとせず、政府が或いは実相を覆い、真実をかくすはやはり一理ありといわざるべからずと思いたり。


『戦中派不戦日記』(山田風太郎/初出:番町書房)

「情報弱者」はいつの時代にもいる。

現代では、インターネットによって受け取ることができる情報は同じなのに、決定的に世の中の状況を読む力が、個人によって異なっている。そうした「情報弱者」略して「情弱」と呼ばれるような人がいることは、インターネットが情報アクセスを、経済的にも空間的にも広げたことで顕在化させたけれど、本当は人間がもともと持っている能力の違いなのだろう。

実は戦時中に書かれた日記を追いかけると、かなり多くの日本人が「この戦争は負ける」と感じていたことがわかる。

沖電気で航空機の通信機の不足を実感していた山田風太郎もそうだった。

この漫画は、そういう時代の実相を知らずに「大本営に騙された」と語られる言葉がどれだけ軽いかを実感できる作品だ。

昭和20年の風景を眺めながら漫画で貴重な日記が楽しめるのは本当にうれしい。

WRITTEN by 角野 信彦
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