「人生詰んだ」と思っても意外と詰んでない! 『つんドル! 〜人生に詰んだ元アイドルの事情〜』
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「人生詰んだ」と思っても意外と詰んでない! 『つんドル! 〜人生に詰んだ元アイドルの事情〜』

【レビュアー/兎来栄寿

『ジョジョの奇妙な冒険』第三部において、ラスボスであるDIOはこのように述べました。

「人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」
名声を手に入れたり人を支配したり
金もうけをするのも安心するためだ
結婚したり友人を
つくったりするのも安心するためだ
人のため役立つだとか愛と平和のためにだとか
すべて自分を安心させるためだ
安心を求める事こそ人間の目的だ

極悪非道なDIOですが、人は誰しも安心を欲しているというのはひとつの真理でしょう。

私自身、人生の中で安心して生きられていた時間というのはほとんど存在しません。

常に先行きは暗澹(あんたん)とし、詰んだとしても帰れる実家もなく、一生独身のまま30〜40代には生を終えるのだろうなぁ、などと思いながら喘ぐように過ごしてきました。

しかし気付けば結婚をして、傍から客観的に見れば幸せと安心に満ちていると断じられるであろう生活を送っています。どんな出会いがあり、人生がどう転ぶのかは本当に予想できません。

元アイドルの挫折と再起

『つんドル! 〜人生に詰んだ元アイドルの事情〜』(以下『つんドル!』)は、元SDN48のメンバーである大木亜希子さんの『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』を原作とするコミカライズ作品です。

以前にも大木さんが手掛けたアイドルが卒業した後のセカンドキャリアにまつわる記事を興味深く読ませていただいたことがあるのですが、今回はご本人のお話ということでより一層のリアルさ、切実な想いが伝わってきました。

アイドルとしては紅白にもグループで出られたものの最後は上の事情で大成しないまま解散。その後の仕事も上手く行きかけていたものの、心のバランスを崩してしまい職も彼氏も貯金も何もない状態に。正に、DIOのいう安心のない状態に追い込まれてしまった大木さんが、見知らぬおじさんとの同居を切っ掛けに再起していくストーリーとなっています。

「元アイドルの女性が56歳の男性とルームシェアして二人暮らししていく」という設定だけを聞けば、どこの漫画の話? と思っても無理はありません。しかし、このお話は驚くことに現実のエピソードに基づいて描かれているそうです。

56歳の男性こと「ササポン」は、大木さんと恋仲になるなどは本当に一切なく、よきアドバイザーとして、よき人生の先達として大木さんの助けになってくれます。

余計な干渉はせず、大らかで優しく知的で優雅にピアノも弾きこなし、アイドル時代に接してきた大人たちのような嫌らしさが微塵もないササポンによって大木さんが癒され、安心を得て立ち直っていく姿を見ているとこちらも勇気付けられます。

「いいことも悪いことも
 孤独で寂しくて辛くて
 死にたくなることもあったけど
 人ってどんなことも
 乗り越えられるようにできてるから」
「若いうちは苦い思いもなんでも経験して
 自分のリミットを知ればいいの
 まだまだこれから
 人生が驚くほど楽しくなるんだから」

といったササポンの言葉は至言です。

本当に人生はいいことも悪いこともあり、ひとつの出逢いに命を救われることもあります。大木さんと同じアラサーの働く女性はもちろん、そうでない人も読めば生きる活力を貰えるでしょう。

個人的にこの作品で好きなのは、アイドルとして活動する中でセクハラやパワハラに類することをたくさん受けてきた大木さんが、アイドルを辞めたセカンドキャリアの場でもそうしたことに悩まされるシーンの苦しさと気持ち悪さを描きながら、一方で自分も無自覚に若い男性に同じようなことをしてしまっていたことに自己嫌悪するシーンです。

「オンナ」としてジャッジされ続けることに疲れ果てていたのに都合のいいときだけ「オンナ」を売る癖が抜けない、という失敗談まで赤裸々に描いているからこそ『つんドル!』はより共感が進む内容になっています。

作画を担当する飯田ヨネさんの華やかな絵も作品を彩っており、特にさまざまな表情の豊かな変化が感情に説得力を持たせており魅力的です。

絶対的な幸福の相対性

逆に、ちょっと共感はできないもののその辛さ自体は解ると感じたのが

「会社を辞めて雇用保険から抜けて
 厚生年金から国民年金に切り替えたとき
 いよいよ人生のレールから
 外れてしまったと思った」

という記述です。

私自身もそうなのですが、まず生涯で厚生年金に加入していた期間なんて皆無だという方も少なからずいるでしょう。レールから外れるどころかレールの上を走れたこともないしこれくらいなら自分の方が全然苦境だし人生詰んでるよ、と思う方もいると思います。

そもそも、落ちぶれたとはいえまがりなりにも紅白に出演してスポットライトを浴びた経験があるたいうのは一般的に考えればすごいことです。人生で一度たりともそんな瞬間はなかったし、こちとらIT社長とディナーに行ける容姿も経歴もないわ! という人も沢山いるでしょう。

しかし、ここで重要なのは人はあくまで自分の見える範囲だけを見て相対比較をし、幸不幸の価値判断をするものだということです。

それを示すような海外で行われたある実験の動画が、数年前に話題になりました。

この実験では、2匹の猿に簡単なタスクを課してそれがクリアできたら片方にはご褒美にきゅうりを与えます。

きゅうりを貰った方は、最初はその与えられたきゅうりを美味しそうに食べていました。

しかし、もう片方の猿にはご褒美により美味しいぶどうを与えます。すると、きゅうりを貰っていた方の猿は怒りに駆られてきゅうりを投げつけるようになります。

絶対的に考えれば、きゅうりを貰えるという状況は本来幸せであるはずです。しかし、ぶどう(=自分よりいいもの)を与えられている他者が存在することを認識してしまった瞬間に、相対的不幸に陥ってしまい負の感情に囚われてしまうのです。

きゅうりを投げつける猿を見て聴衆は爆笑していましたが、実際には多くの人間がこの猿と同じ感情に囚われてしまっていることを考えると背筋が寒くなる実験でした。人間もまた、自分より幸せな人を見付けた瞬間に不幸を感じてしまう生き物です。

特に現代ではSNS等によって昔は可視化されなかった他者の幸福が非常に見え易い状況が生まれています。正にこの『つんドル!』でも、SNSでの知り合いの「ご報告」に無表情でいいねをつけるシーンが描かれます。

「あんま他人と相対比較してっとメンドいで」というのは某作品の名言ですが、今ある自分の絶対的幸福とそれをもたらしてくれる・くれた他者に感謝して生きられれば楽です。が、どうしてもそれができない時や場合もありますよね。

数百万円の借金を苦にして自殺してしまう人もいれば、億単位の借金を背負っても元気に生きる人もいます。

「自分はこれくらい全然平気だった(から他人が自分と同じようなレベルでできないのが不満)」という言説に遭うと、人それぞれ体力が違うように、堪えられる痛みの許容量経てきた環境も違うということを無視していて悲しくなります。

どこまで行ってもその個人の悩みはその人の尺度でしか測れないものです。

だからこそ、適度な距離感でくたびれた精神を支えてくれるササポンのような人に出逢うことができた大木さんは本当によかったなと思います。

終わりに

職も、彼氏も、貯金もなくて人生詰んだと感じても前を向いて進める人。

職も、旦那と子供も、貯金もあっても限りなく不幸の底にいて人生に絶望している人。

世界にはさまざまな人がいます。しかし、少なくとも現代日本においては本当の「詰み」となっている状況は極めてレアケース。『こち亀』の両さんが言うように、とりあえず「生きる」という方向に舵を切ってから色々と方策を考えれば大抵のことは何とかなるでしょう。

「きさまはチェスや将棋でいう『詰み(チェックメイト)』にはまったのだ!」とDIOから言われていた承太郎も、何とか詰みから抜け出していました。

今までと違う環境に身を投じたり、やり方やルーティンを変えてみたり、新しい出逢いを通して切り拓けることもあるかもしれません。

そして最低限自分が生きられるだけの力を取り戻したら、自分がどれだけ幸せになれるかよりも他者をどのように幸福にできるかを考えて生きることで逆説的に自分が幸せになっていくことが多いと各所で言われています。

悩み辛みの尽きない世界ではありますが、ひとりでも多くの方が些末なことで命を脅かされず、体と心を大切にして健やかに生きていけるよう祈りたいです。





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