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なぜ、何のために働くのか。本書に記された「労働の本質」とは『働くということ』

【レビュアー/工藤啓

自己責任という言葉の暴力

2000年代初頭、「ニート」という言葉が社会に登場した。

ニートとは、Not Employment, Education or Trainingの頭文字NEETをカタカナにした表現だ。

英国から輸入された「ニート」という言葉は、本来の定義をあっさりとスルーされ、「働く気のない怠惰な若者」としてメディアを通じて広がってしまった。

働くことも、学ぶことも、職業訓練を受けていない状態なだけにもかかわらず、意欲や根性問題にすり替えられてしまい、その対象として「若者」が標的にされた。

当時は就職氷河期で、仕事を選ばなかったとしても、正社員の椅子は若者に用意されていなかった。2020年より政府が集中的に開始した「就職氷河期世代支援プログラム」は、その働きたくても働けなかった世代のためのものだ。

(筆者は、東京都立川市とともに立川市就職氷河期世代就労支援事業「シャフト・プログラム」を実施している)

あのとき、仕事を自由に選ぶという選択肢すら与えられず、労働市場に出ることになった若者たちが30代、40代を迎える。

彼ら、彼女らに追い打ちをかけるように、あのとき努力を怠っていただろうというように、「自己責任」という言葉の暴力がぶつけられる

世界を覆う新型コロナウイルスにより、多数の失業者や収入減少で苦しむひとたちが生まれる一方で、若い次の世界がダメージを受けた労働市場へ参入することとなる。

数10年後、私たちの社会は、ウイルスのことなどなかったかのように、苦労した人たちの事をこの時代に頑張らなかったひととして、再び「自己責任」という暴力を振りかざしているのではないかと思うと恐怖しかない。

国民がどんな状況であっても豊かな生活を送れるようにするのは社会、国家の仕事でもあるが、そもそも働くことが自分にとってどのような位置づけにあるのかについて、その本質を追求しようとする機会はどれだけあっただろうか。

労働の本質は自己表現への欲求

1982年に刊行された新書を漫画にした『漫画 働くということ』は、労働の本質を自己表現への欲求と結論づけている。

人間の自由は不自由を避けたところに生じるのではなく 不自由の真っ只中をくぐり抜け その向こう側に突き抜けた時 はじめて手にすることができるということ

そうだとすれば 自由を掴む可能性があるのは 目覚まし時計に叩き起こされ 朝食をとりながらネクタイを締め 満員電車に詰め込まれて職場に出勤する人々に他ならない

彼らには不自由の塊である労働を通じて自己を表現し 自己実現をはかる機会があるのだから

自己表現を通じて自己実現をはかることが労働の本質であるという境地にたどり着いた作者も、元はひとりの大学生であった。

ある日、大学キャンパスの掲示板に貼られた多数の求人票。そこにできるひとだかり。ついにこのときが来てしまったとつぶやく友人。

おまえは何も感じないのか?学生の名によって俺たちに与えられていた時間は・・・ついに終焉を迎えるんだぞ

働いて生活をしていくこと。

就職というひとつの儀式を前に、先に「社会人」となった先輩との語りがある。

働くことに悩む大学生と、仕事を通じて「あの頃」を失ってしまった社会人との埋まらない溝。

働くこと、生活をすること、生きていくこと。

親の働く姿すらしっかり見たことのない学生にとって、迫りくる選択の時刻。

自分にとっての労働、その本質を突き詰めて考えることなく、「労働」という世界に身を置いてしまった人間にとって、労働の場は苦行に等しい。何も考えず、与えられた仕事に疑問を持たず、毎月の給与で生活をしていく。

むしろ、それはそれとして労働について考えることなく、それ以外の生活に楽しみや幸福感を振り向ける方が悩みが少ないかもしれない。

しかし、与えられた仕事が伝票整理でも、マーケティングでも、開発や営業であったとしても、それが組織全体を俯瞰したところから見たとき、いったい何の、誰の役に立っているのか。

それは「私」という固有の存在でないといけない仕事なのか。

他に変わりはいくらでも変わりがいるのではないか。

自分と労働の関係性、相互作用を深く考えるほど、労働とは何かという問いは深まっていく。

朝起きて夕方まで自分の時間がない生活がずっと続く 時間の自由を失うことを自覚しなけりゃいけない これからは人間関係の自由も失う 学生時代と違い 職場では顔も観たくない相手とも日々口をきかねばならないかも

これほどまでに自由を捨てて 人は なぜ 就職しなければならないのだろう

本当の自分の仕事とは何か

主人公は、労働(会社)を通じてさまざまな「仕事」に出会う。

ルールの範囲のなかで狡猾に労働から逸脱しようとするもの。

小さなミスで上司に怒られたとき、ただ終わって安堵するのか、自分のミスを恥ずかしいものと受け止める気持ちがあるのかと問うてくるもの。

開発中止となった車をなでながら「自分の作品」と愛おしく話すもの。

そんななか、主人公はついに自分の仕事の一端に触れ、かつて叱ってくれた先輩に電話をかける。

おめでとう 君は自分の仕事に出会ったんだな

その言葉に主人公は涙する。

与えられたものとはいえ いつの間にかそれが自分の仕事になっていたのだ ぼくはようや仕事が自分の中に入り込んでくるのを感じるようになった いわば労働の門に辿り着き 仕事の扉を叩いたのだ

就職して、結婚し家庭を持つ。

子どもが生まれ、支えるべき家族の存在を意識する。

労働が自己実現の手段であるかどうかだけではなく、家族を養うお金を稼ぐための手段にもなっていく。

その一方で、自分の仕事にのめりこみ、その仕事に感激して、昂揚する。その一瞬を主人公は「平素は知り得ない労働の素顔」であり、「麻薬」のようなものと表現する。お金でははかれない何かがそこにはあり、だからこそ自分にとっての労働とは何かを見つめ直すことになる。

さて、『働くということ』が示した労働の本質について、みなさんは何を思うだろうか。

また、働くとは何か。

自分にとって働くことの意味はどこにあるのか。

新型コロナウィルスの拡大により、働くとはどういうことなのかを突き付けられている私たちは、あらためて『働くということ』の本質に触れる努力を、本書とともにしてみる環境にあるのではないだろうか。


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