葬儀屋は、聖なる仕事かビジネスかーー。多死社会における葬儀の本質と「死」の向き合い方『終のひと』
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葬儀屋は、聖なる仕事かビジネスかーー。多死社会における葬儀の本質と「死」の向き合い方『終のひと』

【レビュアー/工藤啓

故人の遺骨を口に入れる!?文化、法律、制度、ビジネス…多角的な視点で葬儀と「死」を捉える

愛するひとの骨を食べること

私は「遺骨を口に入れる」場面を見たことがない。もし、幼少期にそのような場面に出会っていたら、気持ち悪さでパニックになっていたかもしれない。

しかし、ひとつの風習として「骨かみ」というものがあるらしい。

食べる事で故人と一体になったり、長寿だったりした故人のその生命力にあやかるという意味合いがある。

『終(つい)のひと』は、葬儀屋を通して、多死社会におけるさまざまな社会課題、不可避である死と向き合うことを私たちに突き付ける。

いまの仕事には満足しているだろうか。壮大なビジョンはなくとも、自分の仕事が誰かの役になっている手応えや実感を得る。ささやかであっても、小さな誇りを持てる仕事の理想は実現できてるだろうか。

友人から見れば、業界最大手で給与も高く、通勤ラッシュに無縁な働き方にやりがいを持てないと不満を持つ人間を理解するのは難しいかもしれない。しかし、ひとの顔色を見て、ノルマや売り上げで比較されることに疑問を持つ人間は少なくない。

誰だって、ひとから感謝をされれば嬉しいし、自分の手掛けた仕事がそこに直結していれば、日々の生活はいまより少し色彩を帯びるかもしれない。

そんな感情を抱えながら生きる主人公の梵(そよぎ)孝太郎に、転機が訪れる。母親の死だ。幼少期に父親を亡くし、ひとりで自分を育ててくれた母親はあっけなくその生涯を閉じる。

一人息子がやることは、喪主として葬儀を取り仕切ることだ。母親が逝って呆然とする暇はない。すぐにでも葬儀屋を見つけ、葬式の手配をしなければならない。

手元には偶然出会った葬儀店の名刺があった。興味深い社長であった。病院が手配した葬儀社の担当はセールスマンのように営業をかけていくところに現れたのが嗣江葬儀店の嗣江宗助(しえ・そうすけ)だ。半グレともホストとも見えるような風貌、喪主として決めなければならないことを適切に、淡々と説明していく。

しかし、喪主が直面するものは、意思決定の量ではない。生きている人間たちへの対応だ。

大変なのはここからだぞ 葬儀でのトラブルの大半が金がらみか親族関係で起きる それでも葬儀をどういうものにするか最終的に決めるのはお前だ 自分で答えを出せ
しきたりや慣習って物(もん)はやっかいで 長い歴史や体に染みついている分 融通がきかない それが顕著に出るのが冠婚葬祭だ

生前、自分の死後にどのようなことが起きそうか、誰がどのように口を出してきそうかわかるようだ。孝太郎の母親もエンディングノートを息子のために残した。

死者の意向とは無関係に、自分の顔に泥を塗らないよう、小さな小さなコミュニティの体裁を取り繕うよう、葬儀のあり方に口を出してくる親族たち。

自分の意に沿わない葬儀のあり方に、生きている自分たちが恥をかくのだと、恥ずかしげもなく言うもの。他者の死生観に対して、自らのエゴをさも正義であるように押し付けるもの。

私たちの日常もそのような話であふれているが、冠婚葬祭こそもっとも顕著にそれが現れるという言葉は、『終のひと』から強く学べるテーマのひとつだ。

葬儀は母親の意向にそって息子と数名の友人によって行われた。参列者から暖かい言葉、自分で考え出した葬儀(こたえ)、思い浮かぶ母親の生前の姿、笑顔で骨を口に入れたシーンが頭に呼びこされる。

そして、孝太郎は泣きながら母親の遺骨を口にする。

葬儀屋はビジネスか、それを越えた何かか

遺骨を胸に抱え、孝太郎は嗣江に良い葬儀ができたと御礼を伝える。

あほか こっちも商売でやってんだ 直送ばっかじゃ儲けられないだろ ただ 俺が相手にしているのは死体じゃない・・・人だ どんな葬儀だろうと遺族が納得してお別れができるように 最後まで寄り添う 葬儀屋ってのはそういう仕事だ
人の為? やりがい? そんな聖人みたいな奉仕の精神で仕事なんかしてねーよ 人生の締めくくり その物語の最後 そんなのに触れられる仕事なんて他にはねーだろ おもしれーからやってんだよ

そして孝太郎は会社に辞表を提出し、嗣江葬儀店の一員として動き出す。

本書では、多様な「葬儀をあげる」ひとたちの姿が描かれる。そこには法律や制度としての葬儀、亡き人との関係性としての葬儀、ビジネスや仕事としての葬儀など、多角的な視点から葬儀と「死」を捉えていく。

身寄りのない「孤独死」したひとはどうなるのか。葬儀のお金は誰が出すのか。生活保護受給者が葬儀を行う場合のルールはどうなっているのか。

なぜ格安を売りにした葬儀広告に対して、その場で意向を聞きながらメモのように書いた見積もりを提出することがあるのか。大まかな見積もりの裏側に積算された祭壇量の大半を占める葬儀全般の人件費がどれほどなのか。

葬儀は安く済ませたい。それも普段かかわることのなかった遠い親戚の葬儀であればなおさらだろう。それに対して格安パッケージを使うのも生き残ったひとたちの意思決定だ。しかし、葬儀社側にも経営や信念がある。

できるだけ安く亡き人を見送れるようにするのも経営であり信念だ。そして、別の視点もある。

料金を安くする事が経営努力ですか? 100のご遺体があれば100通りの葬儀があり 一つとして同じ葬儀はないんです 一人一人に合わせた葬儀を提供する事が 経営努力だと考えています

読みどころはそれだけではない

本書の読みどころは、多くの葬儀や死にかかわる視点を得られるところだけではない。孝太郎のように、人の役に立ちたい、だから人に伴走することに一生懸命になりたいひとたちはたくさんいる。ときに一緒に涙を流しさえする。

これはひとを支える仕事を選択するひとたちにとっての動機であったり、共感することへの信念であったりする。しかし、ひとに寄り添う「プロ」の思考や振る舞いが、必ずしもそれをよしとしないことがある。

本人は相手の立場になっているつもりでも、そもそもの関係が違うことに視点がいかない。相手の立場になっているつもりの自分に対して、相手が同じように受け取っているとは限らない。

同じ悲しみを共有しているつもりになって、相手もそのように言ってくれているとしても、その言葉の裏側に置かれた本心は見えない。亡き人を見送る遺族と、葬儀のプロでは、そもそも関係構造が異なる。しかし、それが見えていない孝太郎が考える「相手によさそうなこと」は、プロの仕事ではない。

葬儀と死を媒介にした、人間関係の構造から葬儀社のプロフェッショナリズムとは何かを紐解いていくと、私たちの仕事や日常の立ち振る舞いへのフィードバックとなる。

「他者のためになること」と「他者のためになりそうなこと」の差異を読み解きながら、自分と他者、自分と亡き人との関係性に思いを馳せる。そんな読み方ができるのも本書の醍醐味である。


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